福岡県嘉穂郡桂川町寿命376番地
キトラ古墳、高松塚古墳と共に日本三大装飾古墳のひとつに数えられ、石室内に丹塗りを施した王塚古墳(おうづかこふん)。6世紀前期~中頃に築造されたとされ、昭和9年に発見された当初はかなり保存状態が良かったようです。年に二回、4月と10月の特別公開で中を見ることができます。(見学無料)ボランティアのみなさんがわかりやすく解説してくれます。なお、所在するのは桂川町は”かつらがわまち”、ではなく“けいせんまち”と読みます。
昭和9年に石炭の発掘工事にともなう農地の復旧工事の際に発見された当時から、かなり色の劣化は進んでしまっています。発見後しばらく(数年間)放置され、外気に触れていたことや、大雨による浸水でも劣化が進んだのでしょう。周辺の石炭採掘の影響(たぶんダイナマイト)でも、石室に亀裂が入る原因となったようです。。。隣接するコダイム大塚(王塚装飾古墳館)では往時の古墳石室を再現された様子を見学することができます。(こちらは有料。大人個人だと1人330円ですが、ワタシにとってはその価値は充分あると思えました。折角行ったなら見ないと損。)
受付を済ませて、見学の順番を待ちます。
待つ間におやつを購入。
ordermadecake ToiToiさんの古墳&埴輪クッキー。デザインかわいいですね。
中は撮影できませんでしたが、実際に古墳内部に入ると気密室で厳重に空調管理されており、実際にはニュースリンク先の動画みたいな見え方です。(暗いのでもう少し見えづらかった)
https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20240421/5010024105.html
古墳内部は結構暗く、目を暗順応させてからよくよく目を凝らして装飾文様が判別して認識できるようになりました。再現された内部を知りたいと思うなら、迷わずお隣の装飾古墳館に行きましょう。
タビトレ!チャンネルの動画ではまるでお出かけした視点で楽しめます。
歴史的な背景を知るには、九州歴史資料館のYouTubeチャンネルの動画が面白いです。
特別史跡 王塚古墳の石室と壁画 時代6世紀(古墳時代後期)
遺体を納めた横穴式の石室は、主軸線を後円部の中心に正しく向けており、くびれ部に近い北西側を入口としています。
前・後の二室に分かれた石室は、全長6.5メートル、後室(玄室)の長さは約4メートル、幅約3メートル、高さ約3.5メートルと大形で、岩枕の数から少なくとも四体が安置されたようです。
この石室の特徴は、奥壁に石棚(いしだな)を突き出させていることや後室への入口上に小窓を開けていること、また、二人用の棺床をもつ肥後系の石屋形(いしやがた)を設置し、さらに、その前面に一対の灯明台石(とうみょうだいいし)を立てるなど、他に類がない極めて複雑な構造をとる点にあります。
なお、天井石をはじめとする石室の大部分には、地元産の花岡器(かこうがん)などが使われていますが、寝台以外の石屋形や灯明台石・石枕は阿蘇の溶岩(八女地方産か)製で、当時の各地域間における活発な交流を物語っています。有名な壁画の特色は、壁のほぼ全面にわたって、わが国では最多の五色(赤・黄・緑・黒・白)を用いて各種の図像を華麗に描く点にあり、その豪華さは他に例を見ないものです。
騎馬像や盾・矢筒(靭:ゆき)・刀などは、死者の世界の静けさを守るために並べ置かれた物でしょう。蕨手文(わらびてもん)や三角文が整いっぱいに描かれて目立ちますが、大形の同心円文は意外に少なく、県南の筑後地方の壁画との違いをよく表しています。
なお、双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)は、他に弘化谷(福岡)、釜尾・横山(熊本)の三古墳しか描かれていない極めて珍しい文様ですが、残念ながらその意味はわかっていません。
王塚古墳の壁画は、わが国の装飾古墳の頂点の一つを極めた代表例であり、この地域の大豪族である”穂波の君”の墓とみてよいてしょう。 桂川町教育委員会
王塚古墳 OUZUKAKOFUN 石室と壁画原図:京都帝国大学文学部考古学研究報告 第15冊「筑前國烧穗郡王塚裝飾古境」(昭和15年)
現地解説板より
なお、現地案内板の解説文には壁画に使われた色は5色と表記されていますが、のちに灰色も使われていることが判明したのか、見学証の”王塚古墳一口メモ”では”赤・黄・白・緑・黒”に”灰”を加えた6色と訂正されています。
九州北部に点在する装飾古墳については、東京国立博物館・トーハクのオンラインギャラリーツアーがわかりやすくて面白いです。全4回でたっぷり浸れます。沼ってしまいましょう。
さて、この古墳が築造されたとされる6世紀中頃と言えば、福岡市西部では今宿大塚古墳とか、九大伊都キャンパスを造成する際に壊されて消滅した元岡石ケ原古墳と同時期のようです。石ケ原古墳は調査時点で石室の損傷が激しかったらしいですが、今宿のほうの大塚古墳の石室は未調査らしいので、ひょっとしたらこちらにも弁柄に彩られた石室が眠っているのかもしれませんね…。