(佐賀県唐津市南城内)
唐津の御祭りといえば唐津くんち。勇壮な曳山を見にたくさんの見物客があつまるのが祭礼が行われる唐津神社。住吉の三柱の神と神田宗次公、たくさんの摂社を祀る歴史の深い神社です。
由緒は今を遡ること1800年余り三韓渡航の折、神功皇后は無事に帰還できたことを感謝し、住吉三神に鏡を報じられた事に由ります。のちの天平勝宝七年(755年)、時の領主神田宗次公の霊夢により、神宝の鏡が海から発見され、神社創建となりました。1200年以上の歴史があるお宮ということになります。
威厳に満ちた容貌の狛犬
なお、御朱印をいただくと曳山の印がランダムに変わるようです。
唐津神社 由緒
祭神
一ノ宮 底筒男命 中筒男命 表筒男命
二ノ宮 神田 宗次
相 殿 罔象女神
由 緒
神功皇后三韓渡航に際し住吉三神に海上安穏を祈願し歸還の後、松浦の海濱に鏡を捧げて三神の霊を祀り給ふ。
爾来一盛一衰ありて社殿荒廃し其存立さえ分かち難くなりしが孝謙天皇の御代地頭神田宗次霊夢に依りて宝鏡を得たれば之正しく皇后の捧げしもならむと時の帝に奏聞しければ詔を降ろして唐津大明神と賜ふ。時に天平勝宝七年九月二十九日なり。文治二年宗次の子孫神田廣社殿を改築しまた神田を寄進して尊崇せしが特に宗次を二ノ宮に勧請して崇祖の誠を盡せり。慶長7年寺澤氏唐津を領し築城の際境内も整備し社殿を改築し、又城内火伏のため罔象女神を相殿に勧請して崇敬の誠を盡す。次いで大久保、松平、土井、水野、小笠原歴代藩主も祈願所と定めて崇敬せり。明治六年郷社に列せられ、昭和十七年縣社に昇格せり。昭和二十二年宗教法人として神社本廰に所属し今日に至る。
境内 由緒案内板より
唐津市の中心部にあり、長年の崇敬から近郷のお宮が境内に集められ、たくさんの摂社末社もあります。本殿から境内の摂社・末社もお参りすれば、日本中の神様にお参りできそうな気がします。
こちらの唐津神社には、久留米が本宮の水天宮もお祀りされています。
安産の神様として有名な水天宮は、古事記に最初にまします天之御中主尊と、平家物語に登場する悲劇の安徳天皇、二位の尼(安徳天皇の祖母君)が祀られています。
水天宮 由来
一、御祭神 天御中主神 安徳天皇 高倉平中宮二位の尼
一、本 宮 久留米市瀬下町 水天宮
筑後地方(久留米地方)より唐津に来られた方々により筑後人会が結成され、久留米市にある本宮の分社を唐津の地に建立されました。
昭和二十四年九月 唐津市西の浜に建立
昭和三十九年十月 唐津神社境内(現在地)移築
平成十二年三月 修復し建立
本宮は古来農業、漁業、公開業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神にして、或いは病難火災などの除災招福の御霊験高きを以って聞こえ、畏くも明治天皇誕生の砌、公明天皇は当宮へ御祈誓遊ばされ御報賽として御安産の後鳥の子餅を御内々に御献供遊ばされた。斯くの如く御霊験あらたかなるを以って明治元年十月三日禁裏御祈禱所(勅願所)に仰せ付けられた名社である。
一、例 祭 五月下旬の日曜日(お札の必要な方は唐津神社社務所へ)
平成二十七年三月 唐津筑後人会
現地案内板より
筑後の人の篤い崇敬により、唐津にも分かたれた水天宮。子どもの健やかな成長や安産の祈願に唐津の地でもお参りできます。
https://www.karatsu-jinja.org/