ハーミズのまわりみち 野芥縁切地蔵尊

野芥縁切地蔵尊


(福岡市早良区野芥)令和4年8月訪問

福岡では有名な縁切り祈願のスポット。

由緒は奈良時代に遡る悲劇。切実な祈りが込められた絵馬にも特徴があります。

川べりの少し高いところにお堂があります。夜にはかなり勇気のいるの独特の雰囲気があります。。。

由来は、お古能姫という粕屋の長者のお姫様が嫁入りのため、重留の郷に向かっていたところ、夫となるはずだった富永兼縄が結婚当日に出奔し姿をくらましてしまう。姫は夫が頓死したと聞かされ、「早や嫁ぐ家も無し」と絶望し自刃して亡くなった場所なのだとか。。

野芥縁切地蔵尊由来

和銅(西暦708年~724年)の頃重留の里(現在の早良区重留)に住んで土生の長者と呼ばれた富永修理大夫照兼の子兼縄が粕屋の長者原の(現在の粕屋町)の大城長者曽根出羽守国貞の娘(お古能姫)と縁組が成立し輿入れの日、兼縄がある事情で出奔したので照兼は、これを頓死と偽って使者を大城長者に急報の途中、お古能姫はこの報せを野芥で聞き「早や嫁ぐ家も無し」とこの土地で自刃して果てた。土地の人々が哀れんで菩提をとむらうために一体の石蔵を建てたのが野芥の縁切地蔵尊と言われている。

其の後男女の縁切にあらたかとして、昔より全国各地から信者が祈願にきましたが最近は一切の悪縁諸病と縁切りという事で霊験あらたかであると有名になり、北は北海道 南は沖縄まで参詣者が多い。

昭和六十年十月二十六日に出火全焼したので地元有志及全国の信者の方々のご納金によりこのたび再建完成し 今後、永く史跡とし大切に保存する運びとなりました。

昭和六十一年九月二十四日 野芥縁切地蔵尊史跡保存会

現地看板より
自刃して果てたお古能姫を哀れんで近隣の人々が建てたとされる地蔵尊。かけらを縁切りしたい相手に飲ませるとよいと言われていたためか、散々に削り取られています…哀れ、おこの姫の菩提は。。。

なお、たいそうな長者のお姫様だったお古能姫。嫁入り道具で七台の車を山積みにしての輿入れの道中だったとかで、野芥で果てた姫の嫁入り道具を乗せた車が止まったのが今の七隈。七車(ななぐるま)が訛って七隈になったという説も聞いたことがあります。。(七隈の由来がその字面どおりであれば、七つの集落…という意味なんでしょうけども。。)真偽のほどはわかりません。

張り紙をよく見ると、絵馬は近所で入手できるようです。
駐車場の向こう側のバイク屋さんを訪ねます。

男女背中合わせの縁切り絵馬は近所のバイク屋さんにあるとの情報。サイクルショップ友に行ってみる。尋ねてみると1枚1,000円で頂けました。店主に珍しい絵馬について尋ねると、絵馬を書く専門のおばあさんがいて、その人から預かっているのだとか。ここ野芥縁切地蔵尊以外にも、須恵とか粕屋の神社にもこの人が作る絵馬があるとか。

名前をかくとプライバシー的に問題アリですし、年齢だけ書いて祈願されてますね。内容もアレでしょうから、みなさん便箋に書いて白い封筒にいれて奉納されているようです。筆者はペンを持ち合わせてなかったので、特になにもかかずに下げてきました。

・・・この絵馬、どこかでみたことあるな???

そうか。博多区の吉塚地蔵尊にもよく似た絵馬を見たことある!

変わった絵馬の地蔵つながりで、次は吉塚地蔵に行かなくては。。。たしかあそこも非業の死を遂げた武将の兄弟をお祀りしていたような。

そして、博多には他にも同じく悲劇の史跡がある。無実の罪を着せられる意味の慣用句の語源となったといわれるそちらにも…あわせて行ってみよう。

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