ハーミズのまわりみち 濡衣塚(ぬれぎぬづか)

濡衣塚(ぬれぎぬづか)


(福岡市博多区千代)

博多区は千代の御笠川のほとり、国道3号線の千代2丁目と千代3丁目交差点の真ん中あたりにあります。

石でできた梵字の板碑が祀ってあり、となりには地蔵尊がずらりとならんでいます。

如来や菩薩やお不動さんがずらり。

ここが濡衣塚、“無実の罪を着せられる”という意味の慣用表現「濡れ衣を着せる」の語源となったという謂れのある場所で板碑は福岡県の重要有形文化財に指定されています。

康永三年銘梵字板碑

STELE WITH ENGRAVEMENT OF “THIRD YEAR OF KOEI(1344)” INSCRIPTIONS AND SANSKRIT CHARACTERS

福岡県指定有形文化財(考古資料) Prefectual Desginated Cultural Property 
 聖武天皇のころ、継母に無実の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓と伝えられており、「濡衣塚」と呼ばれています。
 この石碑は、板碑と呼ばれる中世の石造物で、玄武岩の自然石を用いています。高さは約165cmで、梵字が正面3箇所に太く刻まれています。最上段は大日如来(バン)、右下が宝幢如来(アー)、左下が天鼓雷音如来(アク)を表現しています。康永3年(1344年)の銘が刻まれており、南北朝時代の板碑であることがわかります。
 この板碑は、本来は聖福寺の西門近くにあったといわれ、江戸時代に御笠川の東に移されました。そして、現在の場所へは御笠川の河川改修に伴って、平成13年(2001)に移築されています。
2016年11月 福岡市 Fukuoka City
(現地解説版より転載)

濡れ衣の伝承については諸説ありますが、8世紀ごろ筑前国司の美しい娘が継母に疎まれ、漁師の衣を盗むとか漁師の密夫がいるとか謂れのない罪を着せられ、娘が眠っているところに継母が忍び込んで漁師の濡れた衣を掛けたうえで父である筑前国司に証拠として見せたため、誤認して逆上した父は娘をその場で斬捨ててしまったという悲劇。

奈良時代の逸話ですが、500年も経った南北朝時代まで話は伝わり、娘の菩提を弔うためにこんな立派な板碑が建立され、今も残っているというわけですね。語源の由来とこの板碑の由緒を知れば、手を合わさずにはいられません。悲劇というのは今も昔も人の心を打つものがありますね…。

しかし、これだけ逸話が残っているということは継母の讒言はすぐバレたんでしょうか?その後の継母と父がどうなったかも少し気になるところ…。

千代の濡衣塚に野芥の縁切り地蔵…奈良時代の福岡2大悲劇として今後も語り継がれていくことでしょう。。

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