冨田神社


(佐賀県伊万里市南波多)

西九州道の南波多ICから唐津方面に少し行ったところに立地する村社。宝くじ当選にご利益があると人気のお宮です。創建由緒は江戸時代に唐津で起きた”虹の松原一揆”の指導した後に藩から捕らえられ処刑されてしまった,冨田才治翁を祀っています。

202号線沿いに目印となる看板があります。
小高い丘をのぼると…
静かな木立のなかにお社があります。

休憩所や拝殿には喜びの当選報告もありますが、詳らかな神社の縁起もありました。

富田神社御縁起

 富田神社の御祭神富田才治翁は人皇第五十九代宇田天皇第九の皇子敦実親王より出づ.親王八代の孫 近江国主 源の姓 佐々木源三秀義の五男佐々木五郎義清出雲国富田城主となる。義清六代の孫備前守髙久公肇めて尼子を以て 氏となし 髙久公より代々山陰道一帯を領有してその太守たりしが七代伊豫守義久公に至り国勢振るはず永禄九年(1566年)義久公の長男大膳茂久公に至り富田を以て氏と定め肥前国東松浦郡五反田に没落す.
 其の孫富田藤右衛門定雄 唐津城主寺沢志摩守の命により郷髙三千石の大庄屋に任ぜられたり.藤右衛門の長男富田才治翁は人皇第百十四代中御門天皇の享保十一年(1726年)に誕生あり玉島村平原の大庄屋となる。時の藩主水野忠任 秕政(ひせい:悪政)多く天変地変相次いで起こり農民其の堵に安んぜず加之永川砂押水洗等の荒蕪地に課税せんとするや農民の苦悩怨恨は其の極みに達せり.富田才治翁は資性沈勇果断に富み義を重んづること篤く農民塗炭の苦を傍視するに忍びず これが救濟を念願し一身を犠牲に供して活躍せしが願意は遂に遺へて聞き届けられざるや農民大奮起して一揆を起し明和八年(1771年)七月二十日虹の松原に集合し其の勢二萬五千四百六十餘人となる.同年七月二十四日幕領庄屋保證誓約のもとに解散し同年八月九日に至り願意は遂に達せられ農民は救はれて蘇生の思を成せり.然るに救濟主たる富田才治翁は同志大庄屋櫻井理平の讒言する處となり一揆の首謀者として斬罪梟首(ざんざいきょうしゅ:さらし首)に處せられたり.干時明和九年壬辰三月十一日 行年四十七歳なり,本村大字府招新屋敷は富田才治翁の幼時乳母の手によりて養育せられし由緒ある地なり.翁の死罪に處せらるや翁の霊乳母の夢枕に立たれ乳母の許に参りたき旨の御告あり新屋敷住民一同感激措く能わず文政十年(1828年)十一月玉島村正念寺よりご神霊を申請け富田神社を建立せり.毎年三月十一日は御命日に當たるをもって例祭日と定め祭典を執行す.頭首の諸病に悩む人々を救わんとのご神靈の御告あり靈験いともあらたかなるを以て遠近より信者参詣祈願をなす人多く爾来歳月は流れて百十餘年其の間籠堂は明治二十一年四月神殿は大正八年四月改築さる.昭和九年新屋敷氏子一同の間に再建の議起り昭和十一年八月を期し改築工事に着手せしが多数信者の熱誠なる参道と浄財の寄進により着々工事は進行し神殿拝殿の新築神域拡張工事鳥居石灯篭の奉献階段工事参道改修等昭和十二年四月竣成を遂げ同四月二十一日御命日に遷座式を擧行同年五月十五日新築落成式及び大祭典を執行せり.
皇紀二千五百九十七年五月十五日 佐世保市 松〇 〇司謹書
※ 拝殿内額 富田神社縁起より ( )カッコ内は管理人補足

富田 才治翁が一揆の指導者として捕まり死罪になってしまった後、生まれ育った地にいる乳母が御告げを受け、神社が建立された。その後も霊験篤く参詣者は絶えず江戸から大正、昭和と続き昭和12年の遷座式に合わせ、この縁起がまとめられたようです。残念ながらまとめられた方のお名前の部分だけは破れて読み取ることができませんでした。

こちらの絵馬は小刀のかたち。たくさんの当選祈願がしてあります。

もともとは、悪政から農民を救った大庄屋を祀ろうと建てられたお宮。頭や首の病へのご利益で崇敬されていたのですが、いつしか宝くじの当選にもご利益があるとされ、さらに多くの参詣者が訪れるようになったということですね。

唐津の人々を救おうと立ち上がった祭神の冨田才治翁、今も困っている人にパワーを分けてくれていることでしょう。

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